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その死因について疑念をもたれているロシア人亡命者ボリス・ベレゾフスキー
◆3月27日
ロシア人の大金持ちでプーチンと対立したオリガルヒ(新興財閥)の一人であるボリス・ベレゾフスキーがイギリスのバークシャー州にある自分の邸宅の浴室で死んでいるところを発見された。彼の死にまつわる周辺事項が下の記事である。長いので、途中省略した部分がある。
これを読むと、彼は死ぬ前に、ロシアへの望郷の念に苛(さいな)まされていたようだし、これからの自分の人生に対する展望を持てないでいたようだ。それでかどうか、彼の生活は十代の少女らをセックスパートナーとして遊びふける自堕落なものだったようだ。
また同じロシア人オリガルヒのロマン・アブラモヴィッチとの裁判沙汰で30億ユーロを失ったというから、それなりのショックを抱えていた事も窺われる。両人ともユダヤ系ロシア人である。ロシアの「民営化」のどさくさにまぎれて濡れ手で粟の大金をせしめた連中だ。
そのような大金持ちであっても人生の晩年になって、自分の人生の意義に疑問を持ち、何をすればよいか分からない、といって嘆く姿は、ベレゾフスキーだけの姿ではないだろう。好き放題の人生を送り、十代の少女とのセックスにふける生活があってもなお満たされない人間の心というものを、彼の自殺(?)と共に考えてみることも必要な時代かもしれない。
なお、もしも彼が外部の者の手で殺されたと考えるとすれば、確かにロシア側の者の手というよりかは、イギリス側の者の手による、と考えたほうが納得しやすいだろう。記事にも出てくるように、アレクサンドル・リトビネンコの死の真相を知っている彼がプーチンに許しを請う手紙を書き、帰郷の可能性を尋ねていたというからには、プーチン側に嘘をついて盾突いたという彼の立場があったからと考えられるからだ。
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●ベレゾフスキーはイギリス情報機関によって殺害された?
http://www.thetruthseeker.co.uk/?p=67764
【3月27日 Truth Seeker】
新興財閥の一人であるボリス・ベレゾフスキーは、イギリスの国家機密をロシアに漏らすのを防ぐ為、イギリスの情報機関のMI5ないしはMI6によって殺害されたかもしれない、とロシアのプーチン大統領の有力支援者が語った。
欧米では、ベレゾフスキーがプーチン大統領との間の確執を終えて13年間に及ぶ亡命生活を終えようと計画していたことで、暗殺されたと大統領府インサイダーであるセルゲイ・マルコフは語った。
2000年にプーチンと仲たがいした後、67歳のベレゾフスキーはイギリスに亡命し、イギリスから政治的保護が与えられた。
しかしロマン・アブラモヴィッチとの裁判沙汰で30億ユーロを失った彼は、プーチンに許しを請う手紙を出し、故郷に戻れる可能性を尋ねていた、と言われている。
セルゲイ・マルコフは、「彼はプーチンを追い落とすことを狙っている欧米の情報機関に関する全ての情報をロシアの情報機関に差し出す準備が出来ていたことは明らかだ」と語った。
バークシャー州のアスコットにあるベレゾフスキーのマンションのバスルームの床の上に遺体がボディガードの一人によって発見された後、警察によれば、未だに彼の死は未解明である、という。
彼はなんらの遺書も残しておらず、疑念を持つ彼の友人らは、「彼のDNAの中に自殺というものはない」から、殺害されたと信じている。
「不幸なことに、イギリスの情報機関がベレゾフスキーの死について疑われている。そしてそれはイギリスだけではないかもしれない」とマルコフは語った。
「イギリスの情報機関に対する信頼はない。イラク占領を狙った陰謀に彼らが絡んだ後、リビヤの指導者を標的とした陰謀、シリアの政府を転覆することを狙った陰謀における彼らの役割を見れば、彼らのやり方が非常に汚いことははっきりしている」
「私は、ベレゾフスキーがあらゆる情報を明らかにする可能性を考えて、彼を除くことを彼らは決定した、と考えている」と彼は語った。
セルゲイ・マルコフは議員に選出されたことがあるが、今は大統領諮問機関であるパブリック・チェンバーのメンバーの一人で、モスクワのプレハノフ経済大学の副学長である。
彼はロシアの暗殺団がベレゾフスキー暗殺のために派遣されたかという点を否定した。
ベレゾフスキーの「許しを請う手紙」は今日初めて明らかにされたのであり、その手紙の中で、彼は死の前にプーチンに「許し」を願い出ていたのだ。
この67歳の男はロンドンからモスクワ宛に、「私は多くの過ちを犯しました。私を許すということは困難であることを分かっているつもりです。しかし私はここでいたたまれなくなり、私を許してくれるようあなたにお願いしています」と書いたと言われている。
ロシアのテレビは、この手紙はロシア大統領に読み聞かされたということをある情報筋は知っていると言っている。またベレゾフスキーは彼の仲間のアンドレイ・ルガボイに助けを求めていたという。この人物は2006年のロンドンで起きたアレクサンダー・リトゥヴィネンコ毒殺事件の主なる容疑者と言われている男である。
テムズバレー警察はメイル・オン・ラインに対して、彼の遺体は自宅から移され、検死が行われるだろうと語った。主任警部のケビン・ブラウンは、テレビ・ラジオのパーソナリティーのクリス・エバンスの前の数百万ポンドの邸宅の科学捜査はなお「数日」は行われるようだ、と語った。
彼は、「犯行現場係官はこの邸宅の科学捜査を更に続け、数日は掛かるだろうと思われる」と語った。
「作業が終了するまで現場を保護するために遮断線が張られたままにされるだろう」
「この重要な捜査が行われている間は、ここで発見されたものについて語ることはできない」
「今の段階では何者かがこの問題に関わったといういかなる証拠もないということを繰り返しておきたい。また我々は死の原因についても検死が行われるまでは何も言えない」
その間、ボリス・ベレゾフスキーは定期的に東欧やロシアから十代の少女らをセックスのためにイギリスに航空運賃を支払って呼び寄せていたことをメイルは突き止めた。
警察は彼の死には第三者が絡んではいないと考えている。またベレゾフスキーの遺体の傍にはスカーフがあったと言われている。
イギリスにおける12年に及んだ亡命生活の間、彼は派手で物議をかもす生活を送っていたが、今回初めて彼の暗く堕落した一面が明らかにされることになった。
彼は42万ポンドする装甲入りのメイバッハリムジンの後部座席で16歳くらいまでの少女達とセックスをする際、ドライバーに時速140マイルものスピードで運転することを命じる事もあった。
一度は、16歳のピンクのミニスカートをはいた少女はロンドンのレーンズボロ・ホテルにこの大金持ちのために送り込まれたことがあった。
彼に近い情報筋は、「彼が豪華なホテルや彼の邸宅で十代の少女たちにセックスのため金を支払うことは公然の秘密」だった、と語った。
ラトビアのリガから飛行機でやってきた少女は、自分にされたことを嫌がったため一晩過ごしただけで彼の邸宅を去りたいと言った。
彼は同意したが、元落下傘兵のドライバーのマーク・ペンドルベリーに、彼女がリガに戻る飛行機に遅れるようにしろ、と告げた。
ドライバーはロンドンの混雑することで有名な道路を運転する事で出発時刻に遅れるようにした。
彼女は帰宅できないことを知ったとき、涙を流して悲しんだが結局ベレゾフスキーの邸宅に戻り、もう一晩過ごすことになった。
「ボリスは非常に喜んで、私に笑顔で合図をした」とドライバーは語った。「そういったことは、いつもの事で異常なことではなかった」という。
「彼は同じところから常に少女たちを呼び寄せていた。私は彼女達がされることで非常に良心の呵責を感じていた。彼女らは殆どが私の娘と同世代ですから」とドライバーは語った。・・・以下略
ベレゾフスキーは彼より21歳若いロシア人女性のエレナ・ゴルブノバと昨年まで15年付き合っていた。
彼女がこの大金持ちの十代の売春婦たちに対する嗜好を知っていたかどうか、はっきりしない。情報筋は、彼は自分に近い者たちに自分の見苦しい面を見せないように大変努力していた、という。
彼が死ぬ直前に彼と会った友人たちは、彼がパークレーン・ホテルでお茶を飲んでいたと言っている。黒いものを羽織って震える手をして非常に気落ちしているように見えた、と語った。証言する者たちは、彼が喪に服する者のようだったという。
それから24時間もしない内に彼は一人で住んでいた自分の馬鹿でかい邸宅で死んでいたのだ。
ベレゾフスキーのスポークスマンであるベル卿は、「私は彼の最後の二週間を見ました。彼は非常に失望していました」と語った。
煽動的な極右の自由民主党党首のヴラジミール・ジリノフスキーは、ベレゾフスキーとロシアに戻る件で彼と議論した、と語った。
ジリノフスキーはベレゾフスキーは「非常に気落ちし、彼の目は暗かったと語った。
「おそらく彼は何もうまく行っていないと感じたのだろう。彼が私に言った事で一つだけ心に響いたのは、彼はモスクワからのロシアのテレビ放送を見ていてなきそうになったということだ」
彼の元妻のガリーナは救急救命士がそこにいたときに到着した。彼女の元夫はスカーフと共に発見されたと友人達に語ったようだ、とガーディアン紙は報じた。
新友の一人であるニコライ・グルシュコフは、「ボリスは首を絞められていた。自分でやったのか、誰かの助けがあったのか。しかし私は彼が自殺下とは思えない。普通の死ではない」と語った。
ロシア政府は、彼の家族が望むのならば彼の遺体はロシアに移送されてそこで埋葬されることに反対はしない、としている。
警察は彼が死ぬ前にどんな生活を送っていたかについて、更にもっと詳しく知るよう努めている、と言っている。・・・以下略
毒殺されたロシア人のアレクサンダー・リトゥヴィネンコの未亡人は、一月前にボリスと会っている。彼女は誰かが彼を殺害した、と考えている。
マリーナ・リトビネンコは、「私から見ると、彼が自殺するようには見えなかった」と述べた。
「彼には多くの敵がいたわ。彼は黙っておれない人なのよ。自分の考えを隠せない人よ」
死ぬ前の晩のロシア人ジャーナリストとの非公式のインタビューで、ベレゾフスキーは、「私の人生にはもうなんの意味もない。政治に関わるつもりもない。何をすべきかも分からない。私は67歳で今から何をすべきか分からない」と語った。
このジャーナリスト、イリヤ・ゼグレブは、ベレゾフスキーはロシアに帰りたくてたまらない様子だった。そして亡命生活を嫌がっていた、と主張している。
放射能専門家が数時間、遺体が発見されたマンションを計測した後で、彼の死にまつわるミステリーは昨夜更に深まった。
亡命した大金持ちが放射能によって殺害された可能性のため2マイルの非常線が張られた。
ベレゾフスキーの蘇生に失敗し2000万ポンドの邸宅を去る時、救急救命士の放射能アラームが鳴ったので警報が出された。
現在のところ、他の者が67歳のビジネスマンの死に関わったという証拠はない、と警察は語った。
何人かの友人は、ベレゾフスキーはプーチン政権に対抗する発言をしたためプロの暗殺者のよって殺害されたのでは、と考えていると語った。
他の者たちは、自分の富と名声を失った後、失望して自殺したと考えている。
一時は30億ポンドの富を持つ物議をかもす大金持ちだった男は、6年前ロンドンで放射能による暗殺の犠牲者となったスパイであったアレクサンドル・リトビネンコの殺害の死因尋問におけるキーとなる証人であった。
1998年以来ベレゾフスキーの知人である歴史家のユーリー・フェルシュチンスキーは、「我々は事実はまだ把握していないが、イギリスにおけるロシア移民の中には疑念をもたらす死の例がいくつかあることを忘れてはならない」と語った。
「ベレゾフスキーはクレムリンに対抗する発言をしたか、あるいは他の者たちに対する警告として殺害されたというほうがよりもっともらしく思える」という。
ロシア政府は今年初め、プーチンがこの大金持ちから許しを請う手紙を受け取った事を認めている。
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