[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2000年、日本を訪問した際に講道館で柔道の技の型を演武するプーチン
◆5月14日
基本的には、プーチン首相は親日家と見て間違いない。それは彼が柔道家である、という事実から推し量れることである。
柔道家だから親日家なのか、と問われると、ほぼそうだと答えるしかない。考えてみれば分かろう。例えばカントリー・ウェスタンが好きだ、という人間は、おそらくがアメリカ好きだ、という人間ではないだろうか? イタリア料理が好きだ、というと大体イタリアも好きだということになろう。勿論一般論だ、例外はいくらでもあるだろう。
特にプーチン氏はロシアのサンボから柔道に乗り換えた点が重要だ。彼はそれを「柔道には哲学があるからだ」と述べている。
では柔道の哲学とは何か、というと今度、以下の記事にあるように彼が柔道について書いた本があるからそれを読めばおそらく書かれていることであろうし、その本を元に山下泰裕氏らが編集した日本語の本も出版されたようなので、日本語でも読める。
日本の武道は、例えば柔道にしても空手道にしても、まずは受身から始まるそうだが、そこにもいわゆる「哲学」の一端が見て取れそうだ。武道であるが、単なる武術ではない、と言う点はかなり重要な点ではなかろうか。つまり格闘技の範疇に入るものではあるが、相手を打ち負かすことだけを良しとするものではなく、常に自らを護る、という受身が基本というスタンスは、攻撃的ではないということであり、「侵略性」を持たない、ということにもつながる。
これを力の強いものが持ち合わせてそばにいる場合、大変心強い存在となりうるが、反対に「侵略性」を前面に押し出す哲学の持ち主が力が強かったりすると、暴君になりかねないから、そばにいて欲しくない存在になりそうだ。
そもそも柔道は、「柔、良く剛を制す」、と言って、弱い者でも相手の力を利用して強い者を打ち負かす、という戦法であるから、相手が力を出せば出すほど、こちらは大きく相手を投げ飛ばすチャンスが大きくなる、ということであり、では相手は柔道家に投げ飛ばされないようにするには、力をもって掛かってこないことに尽きる、となるから、これで紛争は一件落着、となるのだ。
あるいは武道一般になるが、やはり「礼に始まり、礼に終わる」という姿勢にもその心が表れている。要するに武道を習うのは心身の切磋琢磨と言う面があり、相手はそのパートナーであり、「敵」ではない、という姿勢である。だから、試合に勝っても派手にガッツポーズなどをすることは避けるのだ。そういうことが分からない、例えば朝青竜などに見られるような土俵上のパフォーマンスに物言いがつくのである。
このような柔道に体の大きくないプーチン氏が惹かれたのも理解できるというものだ。そんな素晴らしいスポーツがあったのか、というような驚きと敬服の心があったのであろう。
彼が尊敬するという柔道家に嘉納治五郎がいるが、この人物はさすがに講道館柔道を創設した人物であるだけに、体は小さいが相手になれる者はいなかった、と言われている。警視庁の柔術との試合でも2度勝ったというし、ロシア人の大柄な軍人がかかってきたのをやはり投げ飛ばしたエピソードがある。
そういえば、今は谷亮子となった人も、田村亮子時代から48キロ級の中でも体は一番小さいのに何度も金メダルを取っているから、講道館柔道の伝統はいまだに生きている、と言えよう。
ちなみにこの嘉納治五郎をして、「理想の柔道」と言わしめたのが、植芝盛平の合気道のようだ。彼はこの植芝の合気道を学ばせるために弟子を送ったそうだ。その植芝の合気道がどれほどすごいか、以下のブログに驚くべき話が載っている。映画の「マトリックス」に出てくる「ネオ」の世界だ。
プーチン首相が柔道家であり、しかも先に来日した折、講道館から柔道6段を贈られるという機会が与えられたが、実力で取りたい、という旨の発言をし辞退したというから、確かに彼は柔道の哲学、ないしは日本の心みたいなものを会得している、と考えていいだろう。
こんな外国の指導者などほかにはいない。 こういった人間がロシアの指導者にいる、ということは日本にとって大変有利であり、、西欧流の駆け引きによる外交に翻弄されて来た日本にとって、多少でも信頼感の持てる相手となり、話のできる人物だと判断できるのだから、この人物を通して日露関係をできる限り正常なものに持っていける可能性が出てきたと考えるべきであろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●山下泰裕氏からロシア・プーチン首相に柔道本
【5月13日 SANSPO.COM】
来日中のロシア・プーチン首相に12日、日本で出版された本「プーチンと柔道の心」が五輪金メダリストの山下泰裕氏から贈られた。
東京都内のホテルで贈呈式が行われ、同首相は「もしこの本で両国の理解が進めば、本の目的は達せられたと思う」とアピールした。 この本は柔道好きで知られるプーチン首相がロシアで出した著書をもとに、山下氏らが編集した。
2人は以前から親交があり、1年前の同じ日にもモスクワで懇談している。プーチン首相は慌ただしく会場を去ったが、山下氏は「こわもてのイメージもあるが、裸のプーチンさんを知ってほしい」。東京の五輪招致への協力も要請した。
柔道家でもあり、段位は柔道五段(来日時に柔道六段を講道館柔道において贈られるも辞退。詳細は後述)。称号は、サンボと柔道のロシア連邦スポーツマスター。2005年12月よりヨーロッパ柔道連盟名誉会長を務める。
●ウラジーミル・プーチン
【ウィキペディア】
◎格闘技
柔道着姿のプーチン11歳の頃より柔道とサンボをたしなみ、大学在学中にサンボの全ロシア大学選手権に優勝。1976年には柔道のレニングラード市大会で優勝したこともある程の実力者である。体を鍛えていることで、他の政治家とは比べ物にならない逞しい肉体や戦闘技術の高さ、高い指導力が目を引き、インターネット上では一部でカルト的な人気を博している。
2008年8月31日に研究者らによる野生のトラの監視方法を視察するため国立公園を訪問していた際、カメラマンに向かって走ってきたトラにプーチンが麻酔銃を撃ってカメラマンを救出したというエピソードもある[53]。
なお、プーチンの身長は168cmと言われている。
柔道については自伝本とも言われるインタビュー本『プーチン、自らを語る』のなかで「柔道はたんなるスポーツではない。柔道は哲学だ」と語っている。また、少年時代は喧嘩ばかりしている不良少年だったが、柔道と出会ってその生活態度が改まったと述懐している。
大統領になってからも、大統領以前に書いた『Учимся дзюдо с Владимиром Путиным(プーチンと学ぶ柔道)』という本を出版しており、その中で嘉納治五郎、山下泰裕、姿三四郎を柔道家として尊敬していると記している[54]。柔道家プーチンの得意技は「払い腰」。
2000年、日本を訪問した際に講道館で柔道の技の型を演武するプーチン2000年7月の九州・沖縄サミットでは沖縄県具志川市(現・うるま市)を訪問し、柔道の練習に飛び入り参加。掛かり稽古(お互いが交互に投げる練習形式)を行い、相手の中学生を投げた後、同じ相手に今度は投げられるというパフォーマンスを行った。中学生は大統領相手にためらったが、プーチンに促されて投げたという。投げられるプーチンの姿は印象的で、その写真や映像は世界中に報道された。好感度を上げるためというよりも、柔道を愛するが故の行動とみられる。 警備員やSPは稽古とはいえ大統領が投げさせるとは考えられなかったようで、非常に驚いたという[55]。
2000年9月の来日時には、講道館で技の型を首相の森喜朗(当時)に演武した。またこの時、講道館より柔道六段の段位を贈られることになったが、「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」という言葉とともに、これを丁重に辞退した。
●植芝盛平
http://www.geocities.jp/babun777/book6.htm
「植芝が豪語するので、自衛隊の人たちがそれなら対決しようと申し込んだ。それも十人が銃で一人の植芝と対決するのである。そして実際行われた。塩田も証人として見届けている。一斉に十発の銃弾が飛んできた時、植芝はダッシュし、一瞬の内に(ずいぶん離れていたらしいが)自衛隊員の一人の後ろに周り、投げ飛ばした。もちろん弾は当たらなかった。自衛隊員たちはわけがわからず、もう一度と頼んだ。もう一度やってもやはり植芝に一人が投げ飛ばされてしまう。塩田も見ていてわけがわからなかったらしい。帰りにどういうことかと聞いてみたら、「弾がスローモーションで飛んで来るので、一番遅い弾を見つけ、その弾を撃った人に向かって走り、投げ飛ばしたという答えだったようだ。時間が植芝にとってその瞬間遅く流れ(植芝が速いモードになったともいえる)実に普通に勝ったらしい。・・・
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |