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駐シリア・フランス大使から糾弾されたアラン・ジュペ前外相

◆7月18日

 サルコジ政権で外相だったアラン・ジュペがシリアの紛争を誇大に見せてフランス軍の介入の動きを扇動したという話が出てきている。いずこの国でも、戦争屋というものがいるものだ。もちろんその裏にはさまざまな利害が絡んでいるのだろう。

 駐シリア大使だったシュバリエの送った情報を捻じ曲げてシリア内の騒乱を誇大に表現し、アサド政権転覆のための動きをした、とシュバリエからジュペは糾弾されているそうな。

 以下の記事を見ても、シリアで起きていたことが、当初から外国の武装勢力によるゲリラ的テロ活動であった、ということが分かる。今となってはそれも公然としたものになっているが。その外国の武装勢力の中には当のフランスの特殊部隊員も含まれる。彼らはシリア軍につかまり拘留されていたが条件付きでシリアから解放された。

 武装テログループは7月17日、少数のグループ(10人前後)で10ケ所以上でゲリラ攻撃を仕掛けたようだが、政権をゆるがすようなものではない。いつまでこのようなゲリラ攻撃が続くのか分からないが、彼らに資金と武器を与える者たちこそ、平和の敵である。

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●シリアでの「戦争挑発」をしたとして仏外相を糾弾
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=31904
【7月14日 Global Research】

 2012年3月19日、フランスの高官がパリ在住のアラブ人ジャーナリストたちを招待し、フランス政府内の動きを説明、特に外務省のシリアに対する姿勢について語った。この高官によれば、シリアのフランス大使館閉鎖の直後、シリアのフランス大使であるエリック・シュバリエは、ジュペ外務大臣に向かって公然と非難した、という。彼はアラン・ジュペ外相が彼の大使館レポートを無視し、内容をごまかして、もってシリアに対する戦争を挑発したと糾弾したのだ。

 2011年3月、シリアで紛争が始まった時、外務省はすばやく何が起きているかを調べるため調査班をダラアに派遣した。外務省に提出された彼らのレポートでは、いくつかのデモの後に緊張状態はなくなったとあり、これはダラアの街は荒っぽく破壊されたとするアルジャジーラやフランス24のレポートと矛盾するものであった。シュバリエ大使は事態を詳細に把握できるよう調査班の拡大を要請した。外務大臣は最初のレポートに怒りまくって、大使を電話で呼び出し、血の弾圧が町中で起きているというように書き直すよう要求した。そこで大使はダラアの調査班の班長と外相との間の電話会議をアレンジし、そのような弾圧は起きていないことを外相に告げるようにさせた。すると外相は大使を脅して会話は冷えた感じで終わった。

 そのすぐ後、アラン・ジュペの内閣はAFP通信社に圧力を掛けて外相の見方に沿ったニュースを公表するようにさせた。その後の数ヶ月間、シュバリエ大使とジュペ外相との間で激論が交わされ、2012年1月のイラン人捕虜問題とジレ・ジャキエ記者の死亡事件の時まで続いた。この時、大使は記者として秘密裏に活動していたDGSE(対外治安総局)要員をシリアから撤退させる命令を受けた。その時が大使がジュペ外相によって進められていた秘密作戦の重要さを理解した時だった。

 前国防大臣のアラン・ジュペは軍との強いつながりを維持しているようで、彼に忠実な情報員を信頼できるようである。

 同じ情報筋は、大使のレポートは無視されるか改ざんされると明言している。レポートがそうされることで、シリアが抗議デモと弾圧の繰り返しの苦しいサイクルの中にあるわけではなく、外部からの武装グループによって混乱が生じていることを示しているヨーロッパの同じ内容の外交レポートを送ることで、大使自身は自分の位置を強化せざるを得なかった。彼がパリに来た時、シュバリエ大使は既に自分の大臣を狼狽させることになる行政内部調査を要請していた。

 このような暴露は他にもある。別の高官は、アラン・ジュペ外相は自身の外務省といざこざがあるだけでなく、仲間である国防省と内務省とも確執がある。両省の大臣、クロード・ゲアンとジェラール・ロンゲはババ・アムル首長国からフランス情報部員をアセフ・チャウクリ将軍と一緒に出国させることだけでなく、シリアに拘留されていた三人のフランス人特殊部隊員の解放についても交渉した。

 15日、レバノンの親シリア紙のアド・ディヤール紙は、レバノン国連暫定軍フランス分遣隊が再編成されていたのでエドアール・ギヨー参謀総長がレバノンを訪問した際に、3人のフランス人の囚人が引き渡されたと明言した。シリアの高官によれば、ギヨー参謀総長は代わりに、レバノンにあるフランス軍後方作戦基地の完全な解体を自ら監督し見届けた、という。

 シュバリア大使とジュペ外相との争いは長いことくすぶっていたものだ。2011年4月4日、オンラインジャーナルのRue89はシリア系フランス人の匿名の人物の記事を掲載した。そこには、ダラアとラタキエの反乱は、「外国勢力によってなされたとし、またメディアは事実を正しく伝えていないと確認することで、大使は政権の代弁者になった」としている。10日後、ジョージ・バルブルノがルフィガロ紙の自分のブログで、大使は「アサド化」されたと書いた。最後には、5月5日、フランス国営のフランス24でアラン・ジュペが監修している局で、大使のことを「反乱を矮小化している」と糾弾した。

 参謀総長のエドアール・ギヨー提督とアラン・ジュペの確執も長いこと公然としたものになっている。提督はジュペが国防大臣の時、カダフィを葬り去る計画を前もって持っていたことを評価していない。新しい国防大臣のゲラール・ロンゲの不明瞭な支援を受けながら、リビヤに対してフランス軍を動員する命令をした時、彼は公然と自分が不同意であることを表明した。

 付け加えると、ゲアンとジュペとの関係は悪いことで有名だ。傲慢性のいつもの表明の一つに、アラン・ジュペはクロード・ゲアンが大統領府事務局長職を去ることをフィヨン政府に入る条件として要求したのだ。理由はジュペはゲアンと話したくないからだった。アメリカ、イギリス、ロシアがシリア情勢を沈静化させることで合意した後、アラン・ジュペはそれでも主流メディアと共にトルコ、サウジ、カタールの支援を当てにした。ジュペはフランスで自分が孤立していることを知った。また自己の政策を実行する手段を失ったのだ。

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