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兄弟国の新たな関係を結ぶロシアのプーチン大統領とウクライナのヤヌコビッチ大統領
◆12月23日
ウクライナでは一ヶ月以上に渡って騒動が続いたが、ウクライナ政府は土壇場でヨーロッパとの連合協定を蹴って、ロシアのオファーを受けることにした。実はそれがウクライナの為であるのだ。もしも連合協定に署名すれば、ウクライナ製品は西欧では通用しないから今までのようにロシアに売るしかなく、しかし協定に署名した瞬間に関税が上がり、その製品はロシアでさえも売れなくなるだろうからだ。
今でさえウクライナの多くの若者が西欧の取るに足らない仕事をし、女性は売春をしているのが、更に多くの者たちが失業し多くの者たちが西欧の街に出稼ぎでながれて行けば、ウクライナ国家は根底からその存続さえ危ぶまれる状況に陥ることになろう。少なくとも今までのようにロシアと連携した工業を維持することで、貧乏でも国家は生き抜いていける。ヨーロッパは尻の毛まで抜いていくが、「兄弟国」のロシアは150億ユーロの国債を買い、ガスの価格を3分の1削減してくれた。これで、ウクライナのデフォルトはなくなり、職は維持でき、今年のクリスマスを暖かく迎えることができるのだ。
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●ウクライナ騒動で起きたこと (その1)
http://www.thetruthseeker.co.uk/?p=86819
【12月20日 By Israel Shamir Truth Seeker】
統計ではウクライナは破綻しており、人々はアフリカ人と同じくらい貧乏のはずだが、実際はそれほど悪くない生活をしているのは、財政の無分別さのお陰である。政府は借金をし住宅や暖房に自由に支出している。そしてIMFが提案した緊縮財政と通貨の平価切下げをずうずうしく避けてきた。この借金生活は今までのところは通用してきた:しかしウクライナは数ヶ月先にデフォルトの危険がある。そしてそれが現在の騒動の原因の一つである。
ウクライナの将来を巡る東と西の綱引きは1ヶ月以上続いたが、事実上のプーチンの顕著な勝利と言う形で幕を閉じた。これは彼のシリアとイランにおける勝利に続くものである。騒動は、ヤヌコビッチ大統領の政府がデフォルを避けるため新たな借入先を探し始めたことから始まった。しかし貸してくれる相手はいなかった。そこで彼等はECに援助を求めた;主にポーランドとドイツだ。彼等はウクライナが必死であり、尋常でない緊縮財政が要求される連合協定を受け入れる用意があることを見て取っていた。
ECはラトヴィア、ルーマニア、ブルガリア、などの東欧の新メンバー国に対して極めて厳しい対応をしている:これらの国々は自国の産業と農業を滅ぼし、若者達は西欧で取るに足らない仕事をし、人口は第二次世界大戦の時より減少した。
しかし連合協定はウクライナに更に厳しい要求を出している。それを飲めば、ウクライナは(EC内の労働と旅行の自由などの)怪しげな利益を供与されることさえなくECの貧乏な植民地となったことであろう。ヤヌコビッチは必死であったので、この協定に正式に署名することに合意したが、デフォルを避けるに充分必要な資金を獲得する願いは聞き届けられなかった。ECは供与するだけの資金が無いのだ-ギリシャ、イタリア、スペインに供与しなければならないからだ。そこでロシアの登場である。その当時は、ウクライナとロシアの関係は決していいものではなかった。ロシアはオイルマネーのため横柄であった。ウクライナは自分達の問題をロシアのせいだと非難したが、ロシアはウクライナ製品の最大の市場でもあった。
ロシアにとって、連合協定は問題があった:今ウクライナは製品をロシアで非常に小さな関税で売ることが出来ている;国境は比較的自由に行き来できる;人々は自由に国境を越えている、パスポートも無しにだ。もしも連合協定が署名されれば、EC製品はウクライナを通ってロシアに流れ込む。それでプーチンはヤヌコビッチに対しルールを詳細に説明した:もしも署名すれば、ロシアの関税が上がる、と。これはウクライナ人40万人が直ちに職を失うことを意味する。ヤヌコビッチは土壇場になって連合協定の署名を躊躇し拒否したのだ。
ECと背後にいたアメリカは極めて驚いた。潜在的な経済的利益を失ったばかりか、彼等はその他に重要な問題があった:彼等はロシアをヨーロッパから遠く離しておきたかった。そして彼等はロシアを弱いままにしておきたかった。ロシアはソビエト連邦ではないが、欧米の尊大な計画に対しての不服従の態度がロシアに未だ残っている:シリアでもエジプトでもヴェトナム、キューバ、アンゴラ、ヴェネズエラ、あるいはジンバブェでも、ロシアの熊が比較的強いと帝国側はやりたい事ができなくなるのだ。ウクライナのないロシアならばそれほど強力にはなれない:それは丁度中西部と太平洋側を切り落としたアメリカ合衆国みたいなものだ。欧米はウクライナが繁栄することや安定し強くなることは願わないので、ウクライナがロシアに付いて強くさせることはできない。弱く貧乏で不安定はウクライナ、欧米の半植民地でNATO基地があるウクライナというのが欧米の見るウクライナのベストな姿なのだ。
ヤヌコビッチのドタキャンに怒った欧米はウクライナの加盟促進派の運動を活発化させた。一ヶ月以上に渡ってキエフはウクライナ中から集まった群集が包囲する所となり、アラブの春の局部ひずみ現象がはるか北方で起きたようだった。キエフのマイダン(広場)はウクライナのヨーロッパ戦略的未来のための紛争の象徴となった。ウクライナはアメリカが率いる同盟諸国と台頭するロシアとの間の戦場となった。ここがオバマがシリアで失敗したリベンジの場所になるのか、衰退するアメリカの覇権に対する新たなきつい一発になるのか?
親・東と親・西の単純な分裂は、ウクライナの不均質性によってより一層複雑さを増した。緩やかに結ばれていたこの国はかつてのユーゴスラビアと似た感じだった。「ウクライナ」のある部分はロシアによって500年前に編入された。ウクライナ・プロバーは350年前にロシアと合併した。ウクライナ西部は(東部と呼ばれた)はスターリンによって1939年に取られ、クリミアは1954年にフルシチョフによって編入された。
ウクライナは南フランスがフランス的であるように、またテキサスやカリフォルニアがアメリカ的であるように、ロシア的である。数百年前、プロバンスはパリから独立していたし自分達の言葉と芸術を持っていた;反面ニースとサヴォワは比較的最近フランス的になった。確かにカリフォルニアとテキサスもまた比較的最近、合衆国の一部になった。我々はそれでも、それらがこの大きな国家の一部であることを理解している。しかし、もしも彼等が強制的に分離されそうになれば、彼等は恐らくは、フランス南部のカタリ派改革運動におけるフランスの虐待的扱いを、あるいはカリフォルニア在住のスペイン人とロシア人の追放問題を強調して、新しい歴史物語を始めるかもしれない。
従って、ウクライナの独立以来、当局はその4500万人の国民のため、公式言語を決め、新しい建国神話を生み出すなど国家建設に没頭してきた。マイダンに来たがる群衆は、大方がガリシア地方からの者たちだ。ポーランドとハンガリーと国境を接する山岳地帯で、キエフから500km離れている。キエフにずっと住んでいる者たちは、マイダンの集りを、「ガリシア人の占拠」と呼んでいる。
-その2に続く-
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