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時代の先読み
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日本の進むべき道
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我々の心構え
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スエズ運河を通過するイランの軍艦
◆2月23日
エジプトに革命が起き、親イスラエル政権であったムバラク政権が倒された為、イランの軍艦がスエズ運河をイランのイスラム革命以来始めて通過した。
これが今アラブ・イスラム諸国で起きている革命の結果としての象徴的な出来事になる。ムバラク政権が健在ならば、こうはならなかったであろう。つまり、イスラエルに不利になる環境が生まれつつある、という現実だ。このイランの艦船がシリアやトルコと連携し、地中海側からイスラエルを牽制する動きを取る可能性が出てきたからだ。
これから、バハレーン、クウェートあるいはサウジアラビアなど親欧米アラブ諸国で動乱が勃発あるいは先鋭化すれば中東全体が反グローバリズムの大きな枠組みの中で、反欧米・反イスラエルの基調でまとまっていくようになる。
そうすれば、騒乱後の中東では、イスラエルのパレスチナ人に対する対応に非難が集中するようになる。またイスラエル内でさえ、「民主化」運動が活発になり、今までのイスラエル版カースト制度が批判されるようになる。
イスラエル内では、パレスチナ人・イスラム教徒が最下層であり、次にパレスチナ人のキリスト教徒、そしてセファラディー・ユダヤ人(エチオピアなどからのユダヤ人も含め)、一番上にアシュケナジー・ユダヤ人が君臨している。
アラブ・イスラム世界で始まった「民主化」の動きの影響のため、このイスラエルの「カースト制度」を取っ払え、という動きがイスラエル内で強化されるかもしれない。
いずれにしても、イスラエル・ユダヤの今までの世界支配構造に風穴が開き始めるのもそう遠い話ではなくなることだろう。
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●イラン軍艦:スエズ運河通過
http://www.foxnews.com/world/2011/02/22/iranian-warships-complete-suez-canal-transit/
【2月22日 Fox News】
二隻のイラン海軍船がシリアに向かう途中、スエズ運河を22日通過した。この戦略的水路をイランが軍艦を送るのは30年間で始めてのこととなる。
運河の担当官は、この船舶はフリゲート艦と補給船で、地中海側に現地時間で午後4時ころに入ったと語った。
イスラエルはこの通過を挑発と捉えている。イスラエル高官は22日コメントを拒否したが、今週初め、ネタニヤフ首相はこのイランの動きを「深刻に」捉えていると語った。
運河は紅海と地中海を繋いでおり、船舶がアフリカを迂回することを避けることができる。イランの軍艦はイランの親しい同盟国でありイスラエルの天敵であるシリアでの訓練のために現地に向かっている。駐シリア・イラン大使館の高官は、イランの海軍艦船がシリアのドックに入ることは始めてのことになる、と語った。
この艦船は通過のために約30万ドルの料金を支払ったという。この高官らは皆匿名で語ったが、それはこの問題で語ることは許されていないからだ。
スエズ運河通過の許可要請はエジプトにとっては、新しい統治者である軍が、とりわけ長年の指導者であったホスニ・ムバラクが追放された革命後の治安回復を含めた国内問題に全面的に掛かりっきりになっているという困難な時期になされた。
軍の統治者は艦船の通過を許可する以外の選択肢は持っていなかったようだ。それは、国際協定によれば運河の通行は「商用・軍用のいかなる艦船」に対しても許可されねばならないとあるからだ。エジプトはまた運河を通過する艦船の捜査をすることはできない。
イランの軍艦はイスラム革命の起きた1979年以来スエズ運河は通行してなかった。
エジプト・イラン間の関係はイスラム革命とイスラエル・エジプト平和条約後、破綻した。その後関係は両国の関係者らを通して少し改善された。
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イスラエル空軍のF16
◆2月14日
中東では、トルコに続いて、エジプトでも親イスラエル政権が消えた。今後のエジプトが反イスラエルになるかならないかは、イスラエルのパレスチナ人に対する姿勢で決まる、と既に指摘したが、少なくとも、ムバラクが消えたことで、イスラエルのイランに対する先制攻撃の芽は無くなった、と見るのが以下の論文である。
時間の経過はイスラエルに不利に働く、とこのブログで指摘してきたが、実にそのとおりの展開となっている。それはこの「時代」のなすところなのだ。
誰がエジプトの次の為政者になるかは分からないが、誰がなっても、今回示されたエジプト民衆の力と声を無視することはできない。そしてエジプト民衆の誰もがイスラエルのパレスチナ人に対する蛮行が我慢できなくなっている。これだけは確かなことである。
それはイスラム教徒・アラブ人としての同胞観からのエジプト人としての義務のようなものであり、例外はない。多少の違いがあるだけである。
誰だって、同胞が隣で虐殺されているのに、自分達だけが平和を享受していて心が休まるわけがないのだ。しかしムバラクはそのエジプト民衆の声を抑圧し、聞こうとしなかった。それで今回の結果であるから、ムバラクの後継者はどうしてもこの点だけは無視できないはずだ。
こうして、何回もこのブログで指摘してきたように、イスラエルの生き残る道は、ただ一つ、
1.1967年の第3次中東戦争前の国境線に戻る
2.パレスチナ国家成立を認め、平和条約を締結する
3.新生パレスチナ国家に対する経済的な支援をする
4.エルサレムは国連の信託統治にする
ことにある。そうすることで、周囲のアラブ・イスラム教国との関係も良好なものにすることができるのだ。それがイスラエルの生き残りを保証することになる。
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●ムバラクがいない今、イスラエルのイラン攻撃はない
http://www.haaretz.com/print-edition/news/mubarak-s-departure-thwarted-israeli-strike-on-iran-1.343012
【2月13日 Aluf Benn – Haaretz】
殆どのイスラエル人はムバラクがエジプトを統治していた期間に誕生したか、移民してきた者たちだ。これは彼らがわきまえている現実だ。またそれがムバラクが与えていた安定というものの意義であった。
この30年間、中東で起きた騒乱で、エジプト政権は強力な岩盤であることを示していた。イスラエルの指導部は、戦争したり入植を拡大したり、他の戦線で和平の交渉をする際には、西側国境は安全であることを知っていた。イスラエルとエジプトの間の関係のあつれきは、時には落胆を誘うこともあったとしても、イスラエル・エジプト平和協定でできた戦略的同盟関係の基礎を危うくすることは無かった。
18日間の抵抗後のムバラクの辞任は、この地域の不安定の時代を切り開くものである。特にイスラエルにとってはそうである。ムバラクの長期政権というものは、中東では珍しいものではない。ハフェズ・アサドはエジプトのムバラクのようにシリアを30年間支配した。フセイン国王とヤセル・アラファトは40年支配した。しかし彼らが舞台から降りた時、彼らのレガシーは確保された。フセインとアサドはその支配権を自分達の息子に渡している。アラファトは彼のベテランの代理人であるマフムド・アッバスに取って代わられた。ヨルダン、シリア、パレスチナにおける守護者の交替は、イスラエルには自然であり、特別の懸念を引き起こすことは無かった。結局、馴染みの者たちならば恐れる事はないのだ。
しかしエジプトの今の状況は違う。ムバラクは自分に近い者を準備する前に、あるいは息子が引き継ぐ前に倒されたのだ。実権を握った軍の司令官は、エジプト市民と国際社会に対して、新しい軍事政権を樹立する意向はないことを約束することで、安心するようにと言っている。彼らは民政移管を自由選挙後に行うとしている。しかし軍の最高委員会の将軍らの誰も、政権の移行が何時、どのようになされるか知っている者はいない。歴史は我々に、革命後は、新政権が安定するまでに何年も内戦が続く、ということを示している。
この不安定要素がネタニヤフ首相を悩ましている。彼の革命の初日における反応は、エジプトとの平和協定が崩壊しやしないかという深い懸念に彩られていた。彼はムバラクができるだけ持ちこたえるようにしたがだめだったので13日、エジプト軍のイスラエルとの平和協定を含むあらうる国際的合意事項を尊重するという声明を歓迎した。
ネタニヤフはエジプトが、イランのような、ただしずっと身近に存在するイスラム共和国になってイスラエルと敵対することを恐れている。彼はそんなことにならないことを願っているし、トルコのように、パレスチナ人に対する対応の仕方は批判するが、公式のイスラエルとの関係は保持し、大使を置き、貿易関係は続けることを願っている。
最良のケース・シナリオは、彼の見るところとしては、ありそうも無いかもしれないが、エジプトがエルドアン首相以前のトルコのようになることである:軍の支配する親米国家である。
ネタニヤフはムバラクと、イランの台頭に関する懸念を共有していた。エジプトはスンニー派で穏健派の枢軸国という役割を担っていた。このグループは、イスラエルとアメリカと組んで、イランのアハマディネジャドと彼のレバノン、シリア、ガザの同盟者らに対抗していた。
エジプトに於ける政権転覆はこの戦略的論理を変えることはない。タハリール広場にいる革命家たちは、エジプト人の愛国的自尊心が動機となって動いたのであり、イランのイスラム革命に対する憧れからではない。誰がムバラク後を引き継いだとしても、エジプトの愛国主義を強化してでも、その流れを進むであろうし、エジプトをイランの衛星国になどにはしない。しかしそれは、ムバラクの後継者が、イスラエルがイランの核施設を攻撃することを援護するなどということを意味するものではない。
反対に、彼らはイランに対する先制攻撃に反対しているアラブの民衆の声を聞くことだろう。イスラエルは西側国境における、暗黙の了解に依存してイランに対する攻撃を行うことは困難であると感じるだろう。彼の後継者は、イスラエルのイラン攻撃に際して自分がイスラエルに協力したと大衆が見たとしたら、起きるであろう大衆の怒りを気にするだろう。
攻撃に反対する、ないしはその結果を恐れる者は誰もが、ネタニヤフやエフード・バラク国防大臣のように攻撃に賛成しているように見えても、今は最後の口実を持っている。それは、我々はイランを攻撃したかったが、エジプトの革命のためにそれを実行できなかった、というものだ。和平を殆ど達成するところだったとエフード・オルメルトが言うように、彼らは自分達は殆ど戦争するところだったのだ、と言うことだろう。
辞任することでムバラクはイスラエルの先制攻撃を阻止したことになった。これこそ彼のこの地域の安定に寄与した最後の貢献となったのだ。
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イランの新型対艦ミサイル「ペルシャ湾」
◆2月10日
恒例のようになったイランの国産兵器公開だが、今度は新型の対艦ミサイルが公開されたようだ。対艦ミサイルではフランス製のエグゾゼとか、アメリカのハープーンなどが有名だが、イランは独自の国産ミサイルを開発し量産する運びだそうだ。
今度のミサイルは「ペルシャ湾」と名づけられているというから、その目的とするところは明らかだ。ペルシャ湾に展開する欧米の艦船は一旦戦端が開かれたら、こういったミサイルの攻撃の標的になる。現代のミサイルは一発で大型艦船を航行不能ないしは戦闘不能、時に大破・撃沈という事態をもたらすから、大いなる脅威となるだろう。
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●イラン:新型対艦ミサイル公開
http://www.thetruthseeker.co.uk/?p=19594
【2月10日 News Brief】
イランはイスラム革命記念期間中に年中行事化してきた新兵器システムの公開を行った。
国産兵器システムの開発能力の増大をイランは示すために7日、イスラム革命防衛隊司令官は新型対艦ミサイルを公開した。
テヘランでの記者会見で、モハマド・アリ・ジャファリ少将は、新型ミサイルは既に量産体制に入っていると語った。
「これらのミサイルは超音速で飛翔し敵に探知されたり迎撃されたりすることはない」と少将は語った。また、このミサイルは300km遠方の標的を高精度で攻撃できると語った。
このミサイルの射程はペルシャ湾の海上交通路にある殆どの艦船を標的とするだろう。とりわけホルムズ海峡周辺に展開する船舶はそうである。もしイランが必要とみなせば、欧米向けの原油供給にとって枢要なこの水路を封鎖することが可能となる。
ジャファリ少将は「ペルシャ湾」と名づけられた新型ミサイルの映像を後日もっと公開されるだろう、と語った。
少将はまた、イラン革命防衛隊は長距離パッシブ・レーダーの設計・開発を終え、まもなく生産が開始されると語った。
この新レーダーシステムは1100kmのグラフ半径で、ジャファリ少将は、「これらのレーダーは海上の標的を識別する革命防衛隊の能力を飛躍的に向上させるであろう」と語った。
防衛面での需要に国産品で対応できるようイランはここ数年兵器開発を進めている。
イランは、1980年から88年まで続いたイラクとの戦争の際、アメリカが対イラン武器海上封鎖を行ったため国産兵器開発を推進するようになった。
欧米が押し付けた武器禁輸措置以来、それに対抗するためイランは国産兵器開発を優先するようになった。その過程で、イランは国産ジェット戦闘機を始め、、装甲車、レーダー回避ミサイル無人戦闘ドローンを生産してきている。
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ハリリ暗殺現場
◆2月8日
ハリリ元首相暗殺にイスラエルは係わっていた。イスラエルの無人機が数ヶ月に渡ってハリリの動向を監視しビデオに撮っていたのだ。また犯行当日も犯行現場をずっと撮影していた。しかし暗殺に使用されたのはドイツの精巧な兵器であった。核とナノテクノロジーが統合されたミサイル様の兵器である。
イスラエル無人機が撮影しヒズボラが傍受した暗殺現場
しかしここで明らかになった事はドイツもまたイスラエルの下僕であったということだ。それでこの事件を扱うレバノン国連調査委員会委員長に元ベルリン検事総長でドイツとアメリカのシークレット・サービスと繋がりのある人物であるデトレフ・メーリスが買って出てその任務を請け負う事になったのだ。
後は、茶番である。彼は証拠をでっち上げ、偽の証人を引き連れて、シリアのアサド大統領とレバノンのラフード大統領(当時)を犯罪者に仕立て上げようとした。
しかし余りにも杜撰(ずさん)なやり方のため、彼の仕事はまったく信頼性に欠けるとして葬られ、レバノンの裁判は一からやり直しとなったのだ。
その一切の欺瞞の過程を明らかにするのが以下の論文である。
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●ラフィク・ハリリ暗殺:イスラエルは関与したのか? -2-
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=22825
【1月17日 by Thierry Meyssan」
誰がミサイルを発射したのか?
ここが事態の複雑さを示す点だ。軍の専門家によれば、2005年、ドイツがこの新しい技術を持つ唯一の国であった。従って、ドイツがこの犯罪兵器を供給し設置した国である。
ここから、自分の職業上で物議をかもしてきた人物である元ベルリン検事総長のデトレフ・メーリスが国連調査委員会を率いることに熱心だった理由が容易に理解される。彼は、実際ドイツとアメリカのシークレットサービスと繋がりを持つ人物である。
◆デトレフ・メーリス国連調査委員会委員長
悪名高いデトレフ・メーリス
1986年にベルリンのラ・ベレ・ディスコ攻撃を調査するために任命されたメーリスは、リビヤを糾弾するためにアメリカとイスラエルの痕跡を一切慎重に隠蔽し、またアメリカ空軍によるムアマール・カダフィの宮殿に対する空爆を正当化した。
2000年代初頭、メーリスはワシントン近東政策研究所(AIPACに繋がるシンクタンク・親イスラエル・ロビー)とランド研究所(シンクタンク・アメリカ軍産複合体に付属する機関)の研究員として、贅沢な給料を受け取っていた。これらは全てラフィク・ハリリ事件にかんする彼の偏った姿勢を説明する要素であり、それがため、彼をこのケースから除外すべきなのだ。
メーリスはゲルハード・レーマンの補佐を受けていた。このレーマンという人物は、彼もまたドイツとアメリカのシークレット・サービスの内部では良く知られた人物である。彼は公式に、ヨーロッパで進められていたブッシュ政権による計画に参加していたことが、ある証人によって明らかにされている。この計画は、拉致、拘留、軍刑務所内の囚人の拷問などに関係するものだ。彼の名前は、ヨーロッパ会議による特別レポートの中に認(したた)められている。それにもかかわらず、ドイツ警察内部の彼の同僚によって示されたありそうもないアリバイではあったが、あらゆる訴訟を権力者の支援で切り抜けてきた。
メーリスとレーマンはドイツの兵器を調査の対象からはずす為に、自爆攻撃の車に仕掛けられた爆発物という理論を広めた。
◆メーリスの証拠でっち上げ
犯行現場から地面の土がサンプルとして取られた。それらは最初はミックスされ、次に三つの容器に分けて入れられた。その容器は三つの研究所に送られた。最初の二つからは爆発物は見つからなかった。三番目の容器はメーリスとレーマンが持っていた。彼らはそれを三番目の研究所に個人的に送った。ここで爆発物の残余物が検出された。
原則的には、結論が三人の司法の専門家に依頼することでなされるのならば、意見の不一致がある場合は多数意見が結論となるはずだ。しかしそうではなかった。メーリスとレーマンはこの原則を破ったのだ。彼らは彼らの物が信頼できる唯一のサンプルであるとし、安保理を誤った道に導いたのだ。
メーリスとレーマンの調査には非常に欠点が多いということが、十分に立証された。そのため彼らの後継者らはそっとそれを認めて、全ての訴訟手続きを無効と宣言したのだ。
彼らが証拠を捏造した中で、最も有名なのはイカサマ証人に関するものだ。攻撃の準備をしているのを目撃したと5人の人物が主張し、バシャール・エル・アサド大統領とエミル・ラフード大統領(当時)を告発したのだ。これらの言いがかりは戦争の危機をもたらしたが、彼らの弁護士らはその嘘を暴露し、訴追は取り下げられた。
デトレフ・メーリス、国連調査委員会委員長は刑事訴訟上の一切の原則を破り、証拠を捏造し、イカサマ証人を使い、ドイツを免除しシリアを告発した。こういった偽りの証言によってでっち上げられた証拠を元に、デトレフ・メーリスは、国際社会の名の下に4人のレバノン人将軍を逮捕し4年間投獄したのだ。自分の方針に従って彼は仲間と一緒にレバノン当局からの許可の無いまま、個人の住宅に押し入り、疑惑のある者たちを拘留した。ヘブライ語をしゃべる彼の補佐役たちと共に、これらの者たちの家族らを操った。こうして、国際社会のために、投獄された将軍の内の一人の将軍の妻に工作した写真を見せて、彼女の夫が殺人の疑惑を隠そうとしただけでなく、浮気もしていると言ったのだ。
同時に、メーリスは「容疑者」の息子にも同じ方法を使用したが、この場合には、母親は身持ちが悪い女だということを納得させようとしたのだ。こうすることで絶望的になった父親が殺人の狂気に走るだろうということなのだ。その狙いは家族の名誉犯罪を引き起こさせることにあった。そうすれば尊敬されかつ尊敬されるべき人々のイメージが汚されることになるからだ。
更に信じがたいレーマンの計画は、シリア大統領に対する偽りの証言をしてもらう代償に投獄されている4人の将軍の一人を釈放しようというものであった。
更に、ドイツのジャーナリストのユルゲン・カイン・クルベルは、物議をもたらす情報を強調した:ラフィク・ハリリの車列の内部に埋め込まれた強力な妨害システムを先ず機能不全にさせねば、遠隔操作では爆発を引き起こすことは不可能だったであろう、というものだ。これは世界で最も精巧に作られているシステムで、それはイスラエルで製造されたものである。
クルベルは良く知られている親パレスチナ擁護者のサイド・ドゥディン教授から著書の販売促進のために接触を受けた。しかしながら、ドゥディンが頻繁に起こす挑戦的な宣言はむしろ和平の道を粉砕するのだった。クルベルは、かつて東ドイツの秘密警察官だったので、ドゥディンがドイツの左翼にあって長期にわたるCIAの工作員であるという評判のある人物であることを発見するのに時間はかからなかった。そこでクルベルはこの事実を証明するいくつかの古い東ドイツのレポートを出版したが、書類の違法の普及をしたということで短期間拘留されてしまった。ドゥディンは4人の将軍の家族に接触を持つためにベイルートのドイツ大使館に入った。
◆ドイツの中東とのかかわり
中東をみると、ドイツのこの地域における役割には注目すべきものがある。2006年夏のイスラエルのレバノン侵攻作戦後は、アンゲラ・メルケル首相は国連レバノン暫定軍(UNIFIL)に大変大きな派遣部隊を送った。ドイツから送られた2400名の兵士らは、地中海からレジスタンス勢力に武器が搬入されるのを阻止するため臨海インフラを管理している。その際、メルケル女史はドイツの使命はイスラエルを保護することだ、と宣言した。すると将校らの間には反逆の雰囲気が盛り上がった。数百人の者たちが、自分達は自国を守るために入隊したのであって、外国の防衛のためではない、ということを彼女に思い起こさせるために彼女に書簡を送ったのだ。
2008年3月17日と2010年1月18日、かつて無かったようなことが起きた。ドイツとイスラエルの政府間で、合同閣僚会議が行われ、多くの取り決め、とりわけ国防面での取り決めがなされた。この段階では、イスラエル国防軍とドイツ連邦軍との間に秘密があまりあっては困るのであろう。
デトレフ・メーリスが指揮したこの調査は、偽りの証人の点で嘲笑され、違法な4人の将軍の拘留で汚点を残すものだった。専断的な拘留に関する国連人権委員会の作業部会までも、公式にしかも厳重にこの権力乱用を非難したのだった。
◆レバノン特別法廷とメーリスの影響
メーリスの仕事に与えられた悪名は、彼の工作に対してなんらの責任も無いレバノン特別法廷に影響を与えてはならない、と言われている。しかし再びここが事態の複雑さを表すところなのだ。STLの信頼性は、先ずは、真実を覆い隠し、バシャール・エル・アサド大統領とエミル・ラフード大統領(当時)に対して、戦争を惹起させる意図で偽りの告発をした全ての者たちを阻止する能力に懸かっているのである。
今や、この法廷が偽りの証人を裁判にかけることを拒否し、メーリスの監視の下でなされた工作を隠蔽しているという印象を与えているし、実際、似たような政治的目的の達成(この場合はヒズボラ、そしておそらくは将来的にはその他の者たちの告発)を求めている、ということが起きている。もっと悪いことには、特別法廷はジャミル・サイエド(違法に拘留された将軍の一人)に、彼を告発した者の審理記録を手渡すことはしないだろうということだ。そうすることで、彼が補償を請求することを阻止することになるし、4年間の専断的な拘留を容赦するかのように見せることになるからだ。
もっと平凡な言い方をすれば、この特別法廷は、その責任を回避しようとしているのだ。一方では、偽の証人たちがこれ以上イカサマをしないようにするため彼らを裁くべきであるし、法廷の不偏性を明確にするべきなのだが、もう一方では、法廷は訴追者であるメーリスを逮捕することになるため、「事態を明らかにする」ことを拒否している。しかしながら、オドナコ誌のドイツに関する暴露記事はその姿勢を保持しきれないようにするだろう。更には既に遅すぎるのだ:ジャミル・サイエド将軍はシリアで不服を申し立てた。またシリアの予審治安判事は既にデトレフ・メーリス、委員であるゲラルド・レーマン、それに5人の偽証人を告発した。シリアがインターポル (国際刑事警察機構)に彼らの逮捕請求を出せばSTLの動揺は避けられないだろう。
メーリスの調査委員会がレバノン側の司法権力の専門性の欠陥を補うためのものとされたように、STLは同様にレバノン法廷では保証されないかもしれない不偏性を保証しなければならない。しかし事態はその点からはるかにずれているので、特別法廷の正当性が問題視されている。
コフィ・アナンはレバノン特別法廷が国際裁判権を行使することは願っておらず、国際的性格を持つレバノン法廷として機能することを願った。半数は外国籍の者たちであるが、レバノン法に照合させられるべきものであった。この計画は実行されなかった。交渉が突然終わりを迎えたからだ。もっとはっきり言えば、当時ハリリ遺産の元公式代理人のフアード・シニオラに率いられていたレバノン政府と合意に至ったからだが、それは議会の承認もレバノン大統領の承認も受けたものではなかった。それで、この合意は国連安保理によって一方的に裏書された(2007年5月30日の国連決議1757号)。できたものは、ハイブリッドの脆弱な代物だった。
コフィ・アナンが指摘したように、この特別法廷は今のところ国連の権限内で創設されたものの他のどんなものにも似ていない。「それは国連の補助機関でもなければ、レバノン司法システムの構成物でもない」:それは単にレバノン行政当局と国連の間にある「従来の機関」である。
司法の独立と権力の分散の国際的規則によって判断すれば、このSTLは正式な法廷とは認められない。むしろレバノン政府と国連の行政的枠組み内における統合懲戒委員会といったものだ。どんな決定が下されたとしても、必然的に疑惑を引き起こすことになるだろう。
もっとまずいのは、関連する合意は前の政府のみ拘束しているので、どんなレバノン政府でもそれを承認しないで終了させることができるのだ。その結果、レバノン連立政府(当時)はそれを支持する一派と法廷の敵との戦場になってしまったのだ。政府の安定性を維持せんとして、何週間もミシェル・スレイマン大統領は閣僚会議がSTLに関するどんな投票もしないよう思いとどまらせてきた。この措置を永久に続けることはできない。
◆親イスラエルのレバノン特別法廷裁判長
親イスラエルのアントニオ・カッセーゼ裁判長
悪いニュースがペアを組んで入ってきた。疑惑は今やSTLの裁判長であるアントニオ・カッセーゼにまで及んできたのだ。この評判の高い国際弁護士は元ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)の裁判長だった人物だ。彼は偶然にもパレスチナのユダヤ人による植民地化の熱心な支持者である。エリ・ヴィーゼル(ルーマニア出身のアメリカのユダヤ人作家。自らのホロコースト体験を自伝的に記し、1986年にノーベル平和賞受賞)の個人的友人であるカッセーゼはヴィーゼル自身によって授与された名誉賞を受け入れた。彼は、ハッサン・ナスララがイスラエルの無人機が犯行現場と犠牲者の動きを何ヶ月にも渡って監視してきたと暴露した時点で普通ならばこの件から手を引き辞任すべきだったであろう。
レバノン特別法廷裁判長であるアントニオ・カッセーゼによれば、パレスチナやレバノン、イラク、それにアフガンの武装レジスタンス勢力は、「テロリズム」の容疑で裁判にかけられるべきだという。最悪なのは、カッセーゼ判事は中東を分裂させる国際法の解釈の権威となっていることだ。彼の公式の履歴書では明瞭ではないが、彼は2005年にヨーロッパ連合のメンバー国と地中海沿岸国との間の交渉(バルセロナ・プロセス:地中海統合)に参加した。彼のテロリズムの定義は、議論を封じ込めてしまった。彼によれば、テロリズムとは、個人あるいは民間グループの行為に限られるもので、国家に適用すべきものではないという。更に占領軍に対する戦いは、「レジスタンス」ではなく、「テロリズム」だという。レバノンの事情からすればこの司法上の見解は、植民地時代の見解と一致しており、STLは不適格であるということになる。
特別法廷の方法は、メーリス委員会が適用したものと同じである。STLの調査官はレバノンの学生、社会保障受益者、公共サービス加入者の大量のファイルを集めた。10月27日、レバノン人判事の不在時に、彼らはヒズボラメンバーの妻達が多く利用している婦人科クリニックの医療記録まで盗み取ろうとした。こういった探索はラフィク・ハリリの暗殺事件となんらの関係もないことは明らかである。こういったことで、彼らが集めた情報は実際はイスラエルのために集められているとレバノン人が信じることになる。彼らの目から見れば、STLは単なる派生物なのだ。
全てのこれらの問題は2007年、徒労に終わったがSTLの設立決議内容に異なる表現を推薦したロシアのプーチン大統領(当時)が、はっきりと予想していたものだった。ヴィタリー・チュルキン大使はこのシステムの「司法上のループホール」を非難した。彼は安保理はこの「従来の機関」を一方的に創設するため力を使うと脅していると嘆いた。彼は、法廷がレバノン人の和解に向けて努力すべきであるにもかかわらず、実際は人々の分裂を更に深めるために考案されたと強調した。最終的には、ロシアは、中国もだが、この1757号を承認することを拒否した。
真実は結局は漏れ出すものである。ヒズボラによってイスラエルの無人機のビデオは公開され、イスラエルがこの犯罪の準備段階に係わっていたことを明らかにした。オドナコ誌が暴露した事実はドイツの精巧な兵器が使用されたことを示した。
このパズルはほぼ完了しているのだ。
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ハリリ暗殺現場・直径6mの大穴
◆2月6日
エジプトで「親米」のムバラク大統領追放騒乱が続いているが、いずれにしても体勢は変わらないだろうから、やがて「親米」ではない政権が生まれるようになるだろう。ただしその政権が「反米」かどうかは、まだ分からない。
このエジプト騒乱で、すっかり影を潜めているのがレバノン情勢であるが、ハリリ元首相暗殺事件を扱うレバノン特別法廷を巡っての政争でハリリ(息子)政権が崩壊、暫定首相が組閣を模索しているところである。
2005年2月14日に起きたこのレバノンのハリリ元首相暗殺事件は、特殊爆弾で一挙に23人が死亡、100人以上が負傷するという大規模な暗殺事件であった。
当初、シリアがその下手人であると名指しするアメリカを始めとする国際世論の盛り上がりでシリアは軍をレバノンから撤退せざるを得なくなったのだが、その軍事的空白が2006年7月のイスラエルのレバノン侵攻(第2次レバノン戦争)を引き起こした。
従って、少し頭を働かせば、あのハリリ元首相暗殺事件の狙いがレバノンからシリア軍を撤退させることで、イスラエルのレバノン侵攻を容易にさせる、という戦略があったということが見て取れるはずだ。
そこで、あのハリリ暗殺事件にイスラエル自身が絡んでいたのでは、という疑惑が当然浮かんでくる。どうもそれは否定しがたい、ということが以下の論説である。少々長いので、2回に分けて掲載することにする。
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●ラフィク・ハリリ暗殺:イスラエルは関与したのか?-1-
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=22825
【1月17日 by Thierry Meyssan」
欧米メディアが最近レバノン特別法廷からヒズボラに対する起訴がなされると報じているが、ロシアの「オドナコ」週刊誌は国連の調査に全面的に疑義を持っていることを示した。ハリリ元首相暗殺に使用された武器はドイツから供給されたものであるとティアリー・メイサンは明らかにしている。 ドイツの元検事総長であり国連調査団の責任者であったデトレブ・メーリスは、自国が係わっていたことを隠すため証拠となるものに手を加えたようだ。こういったことが明らかにされたことで、特別法廷は困惑し、流れが変わってきている。
中東を揺るがすあらゆる出来事は今日では、レバノン特別法廷(STL)周辺で結晶化しつつある。和平がその成り行きに懸かっているし戦争も同様だ。このSTLはヒズボラの解散をもたらそうとし、レジスタンスを抑圧しパックス・アメリカーナを打ちたてようとしている。他の者たちは、STLは法を無視し真実を捻じ曲げ新植民地的秩序をこの地域にもたらそうとしていると見ている。
◆レバノン特別法廷(STL)
この特別法廷はハリリ元首相暗殺のスポンサーと言われる者たちを起訴するために国連安保理決議1757号に従って2007年5月30日に設置された。当時の政治的状況は、ネオコンに好意的でないシリアのバシャール・エル・アサド大統領とレバノンのエミール・ラフード大統領(当時)を狙ったものだった。しかしながら、偽りの証人によって埋めこまれた証拠を基礎としたものだったため起訴はされなかった。容疑者がいなくなったため、特別法廷は面倒な手続きの過程で消えてなくなってもおかしくなかったのだが、中東の激動する政治局面の中心として戻ってくることになるある動きがあった。
2009年5月23日、ジャーナリストのエリック・フォーラスはデア・シュピーゲル誌に、STLが新しい容疑者を起訴する準備を進めていると書いた。その容疑者とは、ヒズボラの軍事指導者らのことだった。この18ヶ月間、ヒズボラの事務局長であるハッサン・ナスララは、ヒズボラは係わっていないことを明言してきている。彼は、この訴訟の真の狙いはレジスタンス運動を絞め殺すことにあり、イスラエル軍にとって動きやすい地域にすることにあると主張してきた。例えば、アメリカの公正を主張する動きは、国際的裁判を逃れることは誰にも許されないと明言した。
いずれにせよ、直ぐ始まると考えられているこの起訴は、スンニ派指導者(ハリリ元首相)の暗殺に対しシーア派指導者がその下手人であると見なして起こされたものだ。この起訴は、従ってイスラム教徒間の内乱を扇動する性質を持ったものであり、この地域を流血と暴力の深みに投げ込むことを狙ったものである。
2010年の11月15、16日、亡くなったハリリ元首相の息子であるレバノンのサアド・ハリリ首相(当時)はモスクワを公式訪問した際、この特別法廷の政治的な動きはレバノンを新たな騒乱に投げ込む危険があると繰り返し表明した。メドベージェフ大統領は、ロシアは公正が期されることを願うし、特別法廷の信用を傷つけ弱め、遅延させるようないかなる試みも非難すると言い返した。この原則論は、ロシア政府のSTLの側に付く自信から来たものだ。しかしそれは、オドナコの暴露でひどく傷つく危険性が出てきた。
◆事件の再吟味の必要性
まさに我々はラフィク・ハリリ暗殺状況を調査することが望ましいと判断している。我々が発掘したデータは新しい地平を切り開いた。それは、今までなぜそれが調査されなかったのか、という驚きを感じさせるものである。長い調査の過程で、様々な役割を演じた大変多くの人々と出会った。多すぎるほどだったが、そのために我々の仕事に関するニュースは瞬く間に拡がり、レバノンの武装レジスタンス指導部を下手人に仕立て上げようとする暗殺法廷が正に棚から牡丹餅となっている者たちに警鐘を乱打するものになっているのだ。我々を脅かすために、イスラエルのエルサレム・ポスト紙は2010年10月18日、我々の仕事の内容を引用しながら、予防的攻撃を行った。全くの中傷の調子で、我々の記事を著者がヒズボラを称賛するためイランから100万ドルを受け取ったと非難したのだ。
事実を追ってみれば、ラフィク・ハリリの車列は2005年2月14日にベイルートで攻撃された。23人が死亡、100人あまりが負傷した。安保理による委託を受けた仮報告書は、レバノンの治安判事と警察の専門的でない動きに対する注意を喚起した。状況を立て直すため、安保理はレバノンが提供できないような資金を与えて独自に調査官を任命した。調査の始めから、この攻撃は爆弾を抱えた車による自爆犯によるものという解釈だった。
レバノン当局の専門的でない動きを補うために設定されたということで、国連の代表部が伝統的な犯罪訴訟手続きを几帳面に尊重することを期待した者がいたかもしれない。
しかし事実はそうではなかった。犯行現場は、まだ手のつけられていないその地形やその日に撮られた写真やビデオなども、詳しくは検証されなかったのだ。犠牲者は死体を吟味されなかったし、死体解剖もされなかった。長いこと、犯罪の手口を確認することもされなかった。地面に埋め込まれた爆弾によるものという仮説を破棄した後、調査官らは、立証することもなく一人の人物を車(バン)爆弾に係わったとして容疑者に挙げたのだ。
◆車爆弾では説明のつかない現場の状況
しかも、それは信じがたいことなのだ:犯行現場を見れば、誰でも、非常に大きな深い穴が開いているのを見れるし、それが地面の表面で爆弾が爆発したことではできないということを見て取れるからだ。この公式見解に対し承認することを拒んだスイスの専門家の頑なな姿勢に直面し、10月19日レバノン特別法廷は犯行現場を非公開で再現した。それはロンドンでもSTLのあるオランダでもなく、この法廷に資金を出している国のひとつであるフランスで行われた。
犯行現場を取り巻いている建物は再建され、地面の土はベイルートから持ち込まれた。車列は装甲された車も含めて新たに製造された。この狙いは、コンクリートの高い建物が爆発を閉じ込め、そのため爆風で穴が掘られることを見せるところにあった。この費用のかかった実験の結果は公表されなかった。
攻撃のすぐ後に撮られたビデオと写真を見ると、最初の最もびっくりすることはその炎である。車のパーツとその他の諸々物が周囲で燃えている。そして犠牲者の死体だ。それらは、片面だけが黒こげになっていて反対側はそのままなのだ。通常の爆発物では普通はできない驚くべき現象である。この車(バン)がRDX、PETIN、TNTの混合物を運んでいたという理論はできたダメージからは説明できない。
更に、ラフィク・ハリリの死体の写真から、彼の金の腕時計が溶けているのを見ることができる反面、彼のシャツのカラーは彼の首に元のまま付いているのが見て取れる。
では、何が起きたのか?
この爆発は例外的に高温の爆風を生み出したということと、例外的に短い間だけそのような高温を出した、ということになる。従って、この高温の爆風に晒された肉体は瞬間的に黒こげになったが、内部は焼かれなかったのである。
高密度の物体(金時計など)は熱を吸収し破壊された。逆に言えば、低密度の物体(ハリリのシャツカラーなど)は、熱を吸収する時間が充分でなかったので、影響が少なかった。
更に、ビデオは多くの四肢が爆発で切断されていることを示している。不思議にも、切断のされ方は、粘土の像になされたかのように明瞭である。粉砕されたとか、骨が飛び出ているサインはない。裂かれた肉体というケースも無い。その理由は、爆発で全ての酸素が吸収され、肉体の水分が脱水されてしまったので、肉体がもろくなってしまったからだ。その後の数時間、現場にいた何人かの証人たちは、呼吸の不安定を感じている。間違って当局はそれを精神的トラウマのための精神治療学上の反応と解釈している。
そのような観察は、犯罪調査のいろはである。それらがスタートポイントで無ければならない。しかし安保理の「プロの専門家」によって提出されたレポートのどこにもそのような判断はなされていない。
◆特殊な爆発をもたらす新型兵器の使用
このようなダメージを生み出す爆発物は何かという点に関して、我々が軍の専門家の何人かに尋ねた際、彼らは数十年間に渡って開発が進められてきた新兵器について語ってくれた。それらは科学雑誌上にレポートが掲載されているものだ。核とナノテクノロジー科学の統合で、統御された正確な破壊力を生み出すことができるものだ。この新兵器は数十センチメーターまで決められた範囲内の一切の物を破壊するように設定することができる。
同じ軍の専門家によれば、この兵器は他の効果ももたらすことができると言う。爆発のあった地域に強烈な圧力を生み出すのだ。爆発し終わった瞬間に、非常に重い物体も上方に持ち上げられる。その結果、車は空中に舞い上がったのだ。
一つの明確は事実がある:この兵器は高濃度ウランのナノ分量が装備されているので、放射能を出していて量を定めることができるのだ。ラフィク・ハリリの装甲車両に居た一人の乗務員が爆発を生き延びたのでそれが分かった。バッセル・フレイハン元大臣はフランス軍病院に治療のために運ばれた。医者たちは、彼が高濃度ウランに接触していたことを発見してびっくりしたのだ。しかし誰もそれを攻撃と結びつける者はいなかった。
技術的なことを語れば、この兵器は小さなミサイルの様な形をしている。数十センチの長さがある。これは放射能のため無人機から発射されねばならない。実際、何人かの証人は、犯行現場の上空を航空機が飛ぶ音を聞いたと言っている。調査員はアメリカとイスラエルにどこの国の偵察衛星が適切な映像を送るために恒常的に作動しているか尋ねた。攻撃がなされた当日、アメリカはAWACS(早期警戒管制機)をレバノン上空に飛ばしていた。ライブの映像が送られるので、無人機の存在が分かるようになるし、そのフライト・コースを特定することさえできる。しかし、STLに協力するようあらゆる方面に働きかけているアメリカとイスラエルは、この要求を拒絶した。
ヒズボラはイスラエルの無人機がラフィク・ハリリの動きを監視しているビデオと犯行現場を撮影しているビデオを傍受しそれを公開した。2010年8月10日の記者会見で、ハッサン・ナスララは、彼によればイスラエル空軍によって撮影され、ヒズボラによって傍受されたというビデオを見せた。ラフィク・ハリリの動きは数ヶ月間に渡って最後の日まで全て記録されていた。その最後の日は、全ての監視は攻撃がなされた通りのカーブに集中していた。
このように、イスラエルは暗殺の前にこの地域を前もって監視していたのだ。これは、ナスララが指摘したように、彼らが犯行の当事者だということにはならない。
では、誰がミサイルを発射したのか?
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